Negla
お花見

千駄木はちょっと歩けば上野公園あり、谷中墓地ありで、桜見物に事欠かない。ので、満開の時期は三日に一度くらいのペースで桜を見に行くのが恒例ですが、今年は足指骨折でそれも叶わず。悶々としていたところ、リハビリ帰りに通りかかった旧安田楠雄邸で偶然にも満開の枝垂れ桜を眺める機会に恵まれました。満足。
一月も終わろうとしている

一月も終わろうとしている今日31日、しかも閉店間際に、あわててこの日誌を綴っています。

古道具Negla、2014年も変わらず営業しております。現在、店内は細かいモノが多めです。今週は大きめの家具が立て続けに旅立ったので、近々大きくレイアウトが変わりそう。この写真の状態も今週末までとなるかもしれません。新たな家具モノの仕入れをがんばります。

二月最初の週末となる明日、明後日は両日とも13時〜18時の営業となります。あたたかい週末になりそうなので、ぜひお出かけください。

最近の出来事。先日図書館で借りた本に、こんな付箋が。どこかのだれかからのメッセージ。あなたの一行、しっかり読みました。いつかワタシの一行もおしえたいな。
瀬戸内へ

短い夏休みをとって、瀬戸内へ行ってきました。小豆島、豊島、高松の旅。いろんなモノを見て、いろんな人にお世話になった楽しい旅でした。

島に行く機会なんてそう多くはないので、小学校一年生の甥っ子を誘って行きました。昔読んだ伊丹十三のエッセイで、子どもにとって親でもなく先生でもないただの “おじさん" という存在は意外と重要である、という文章が印象的で、甥っ子が生まれたとき、わたしも親でもなく先生でもないテキトーな大人の代表としてのおばさんになれたらいいなーと思いました。今回の旅は、物心ついてきた甥っ子とわたしたちおじさんおばさんの対等な付き合いの第一歩になった気がする。またいつか一緒に旅に出たいな。
小豆島では瀬戸内芸術祭に作品を展示している作家の友人に案内役をしてもらい、海にも山にも連れて行ってもらいました。瀬戸芸の作品はもちろん、素麺の工房やお醤油の蔵など、見るモノたくさん。小豆島の夕暮れはピンク色でした。
豊島では民泊を利用して、一般のご家庭に泊めていただきました。おじいちゃんおばあちゃんの家に泊まりにきたみたいで、最高の夏休み気分。行ってみたかった豊島美術館や豊島横尾館を堪能し、甥っ子とネグオさんは海で泳ぎ、おばあちゃんの畑で野菜を採って、同宿になったオーストリアのカップルと一緒に作品を見て回り、全てが完璧に夏休みだった。
この写真は、おじいちゃんとネグオさんが披露した石切(水面を石が跳ねるように投げるアレです)に魅せられて、みんなが夢中で挑戦しているところ。こうしてみると、大人も子どもも大して変わんないなと思う。

8月はスローペースになるものの、長期の夏休みは取らずに開店する予定です。
如月二千十三
最近のネグラ入り口付近。大きな楕円の鏡はかつて帽子店で使われていたもの。

先月末の「古道具ナイト@道」たくさんのお客さまにお越し頂きました。一時は身動きがとれないほどに!新しい出会いも多々あって、本当に楽しい一夜となりました。ありがとうございました。次回は春頃になる予定。詳細決まり次第、またお知らせいたします。

二月は「冬のHAPON Bazaar」に出店します。なんでも、“お茶を飲みながら語らうバザール”とのこと。古道具ネグラのほか、ネグオさん所属の「NOKKEL」、界隈のお友達・旅ベーグル、浅草のタカシくんことデザインジャーナリストの加藤孝司さんも出店します。予約制のようなので、ご興味のある方はぜひ。詳細はこちら(リンク)でどうぞ。何を持っていくかはギリギリまで悩みそうです。お菓子(当日は店主のおすすめのお菓子を用意することになっているのです)はもう「これにしよう!」って決めてるんですけどネ。

来週は4日(月)、5日(火)、8日(金)がお休みの予定です。三連休は、9日(土)13時〜19時、10日(日)と11日(月)13時〜18時の営業予定です。よろしくお願いいたします。
会いたいと思った時が会い時だよね
先日開催した「NOKKELの代理フリマ」へお越しいただいたみなさま、誠にありがとうございました。当日は冬らしい厳しい寒さ、さらに雨……。当然お客さまも少なくて。急遽、翌日も開催と相成りました。ご近所のおばあちゃんたちものぞきに来てくれて、集まったモノの半分ほどが次の主の元へと旅立ちました。

昨日、暮れ行く空を眺めていたら、ふと友だちに会いたくなりました。「呑みにいかない?」って誘ったら「いいよ」って返事が来て、久しぶりに中央線に乗りました。瓶ビールを注ぎ合いながら、互いの近状や共通の友人たちのことを語り合い、なじみの居酒屋さんを二軒はしご。楽しい夜だった。会いたいと思った時が会い時だよね、と改めて。

21日(金)と22日(土)は13時〜19時の営業、23日(日)と24日(月)は13時〜18時の営業予定です。25日(火)は年内最後の仕入れ日でお休みとなります。
既にこの世に存在しているモノだけで、実は十分事足りるんじゃないか
古物の山をみながら、ときどき「既にこの世に存在しているモノだけで、実は十分事足りるんじゃないか」と思う事がある。今この瞬間にも何千何万という何かしらのモノが作り出されているけど、本当にそんなに新しいモノが作り出される必要があるのかな。既にあるモノを直したり、工夫したりすれば十分事足りるんじゃないのかなと思ったり。
夏の夜
 
もう一週間も前のことだけど。閉店後、親友に誘われて近代美術館へ出かけた。14日間にわたって、連日様々なアーティストがパフォーマンスを行う「14の夕べ」というプログラムに友人が出ていて、それを観に行ったのだった。開演前に「BEER MOMAT」でビールを買って、スタジオ・ムンバイが手がけた「夏の家」で呑んだ。

かれこれ長い付き合いになるのに、これまで公の姿を見たことがなかったから、パフォーマンスする友人の姿を追いながら、なんだか感動してしまった。そして、思えばずいぶん年月が流れたもんだなぁとも思った。彼に初めて会ったとき、互いにまだ二十歳になるかならないかだったし、横に座っていた親友に初めて会ったとき、互いにまだ十七歳とかそんなもんだった。  
その日はブルームーンとかいう明るい月夜の晩だった。大人になった私たちは、界隈のビジネスマン&ウーマンで賑わう大手町のテラスで、月を見ながらモヒートを飲んだ。きっとこれからも、何度も何度も「ずいぶん年月が流れたもんだ」と思うだろうな。その度に、出会った頃の姿を思い出すんだろうな。なんかセンチメンタルな夜でした。

急なお知らせですが、明日8日(土)は18時閉店とさせていただきます。開店は通常通り13時です。よろしくお願いいたします。
夏休み
8月7日。通常営業を終えた後、バタバタと家を出て、深夜の飛行機に飛び乗りました。今回の旅は移動がテーマで、LCCや長距離バスを乗り継いで5つの都市を巡りました。大きな都市はもはや、どの国もあまり変わらないなという印象。やっぱりおもしろいと感じるのは、こじんまりした街でした。

その街ごとの古道具やさんに入りました。どの街の古道具屋さんも共通した古物の匂いがしました。古道具屋って世界共通の仕事なんだなと改めて思ったら、おじさんたちと握手したくなりました(しなかったけど)

8月19日。夏休み終了。いろんなことを考えて、頭をグルグルさせながら帰ってきました。またネグラに通う日々が始まります。新たな気持ちで店頭に立てそうです。
キキの口まねで
梅雨はどうもいかん。元々のネガティブシンキングに拍車がかかる。ネガティブスパイラルにはまると、不思議なくらい眠くなる。これは生理的防御反応なんだろうか。

そんなんで、ここのとこずーーっとうつらうつらしている。うつらうつらしながらミステリー小説を読んでいるもんだから、怖い夢を見る。

こんなんじゃダメだッ……と思って、冷えた炭酸水をグビグビ飲んで、ラジオ体操をしてみた。ベランダからスカイツリーを眺めながら、キキの口まねで「落ち込む事もあるけれど、わたし、この町が好きです」とつぶやいて、「ルージュの伝言」を大声で歌った。少しスッキリした。

今日も雨。雨だけど、負けずに入谷の朝顔市に出かけた。元気なお兄ちゃんから朝顔をひと鉢買った。西洋朝顔のブルーが好きだったけど、ここに来て西洋はナイだろうと思って日本朝顔にした。帰りしな、普通の焼きそばと富士宮焼きそばとうずらの卵が入ったたこ焼きを買った。電車の中にソースの匂いがただよって、ちょっと申し訳ない気持ちになった。

雨の日は静か。何をするでもなく時間が過ぎていく。久々に日誌を書こうと思ってパソコンの前に座ってみたものの、大して書くこともなく、こんな内容になっちゃった。写真と全く関係ないうえに、く、暗い……。で、でも、店番は明るくやってるので遊びに来てくださぁーーーい。明日8日(日)も通常営業です。
雨の日に
雨がサラサラ降っている。ときどきザーザーに変わる。入り口の脇にある柑橘類の木に雀が分け入ったと思ったら、青虫を口に挟んで飛び出してきた。木箱の上に留まって、青虫をついばんでいる。食われ行く青虫の、鮮やかな緑が、雨でくすんだ世界にまぶしい。

雨の日は古いモノたちの匂いが強くなる。何十年という月日生き延びたモノたちが内包する何十年分の空気が少しずつ漏れ出ているのを感じる。私たちが生きる今は、過去と未来の線上にある。今だけを取り出すことはできない。

「ミッドナイト・イン・パリ」は花の都パリへのあこがれと、1920年代への愛を、(ウディ・アレンにしては珍しく)素直に吐露した映画だった。どうかなぁ?と思っていたオーウェン・ウィルソンがはまり役で嬉しい発見だった。現在を生きるビルは1920年代に憧れていて、1920年代を生きるイネスは1890年代に憧れている。1890年代を生きるロートレックやゴーギャンはまたその昔に憧れている。“ひと昔前”はいつだって黄金時代。

もはや未来は憧れるものではなくなってしまったのか。昨今、未来という言葉には、希望という言葉より不安という言葉の方がよく組み合わされているような気がする。それこれひと昔前は、未来という言葉には憧れが伴ったものだったのに。

「メランコリア」という映画は、地球の滅亡を描いた話なのだけど、わたしはあれをハッピーエンドだと思った。地球が衝撃によって一瞬で滅亡するのなら、それはもはやハッピーエンドなのではないかしら。でも実際は「ニーチェの馬」のように、真綿で首を絞められるようにじわりじわりと滅んでゆくのだろうと思う。

とか言いながら、今日もわたしは変わらない一日を過ごしていて、世界は健在で。でも、もしかしたら、今この瞬間だって、気づかないほどのスピードで世界は滅んでいるのかもしれない、とも、どこかで思っている。